2020年教育改革。ちょうど長女が小学校にあがる年でもあります。
改革に伴い、小学校から英語が追加されたり
授業内容もこれまでの詰込み指導ではなく
ディベートやグループディスカッションなど、話し合うことで授業を進めるアクティブラーニングというものが導入されるそう。
知識をたくさん持っていることより、その知識をどう生かせるか
正解をこたえるだけではなく、自分で考える力
つまりは主体性が必要であると。
主体性とは
自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する態度や性質
※Weblio辞書より引用
と、いきなり語りだしましたが
今日は小難しい話ではなく、私の思う主体性の話。
まず、学校で主体性が重要視されるということを考えたとき最初に浮かんだこと
それはいじめ。
私自身は小学校中学校ともに、なぜか学級崩壊といわれるクラスに当たり
いじめも何度も経験しました。
小学校のときには、もう死んでやる!と思い教室を飛び出したことも。
(ちなみに飛び出した後は即先生に捕まり、もれなく保健室行きになりました。話は逸れますが、今はあの時死ななくて本当によかったと思う。これについてはまた機会があれば記事にしたいと思います)
いじめにあっていた当時、
いじめにあうことは、自分が悪い
いじめられている自分はダメな自分
いじめられていることを人に言うことは、恥ずかしいこと
だから絶対人に言いたくない
頭の中はこんな公式になっていました。
なので、限界まで一人で耐えて、その当時に人に話すことはありませんでした。
でも、もしもこのとき
意見の相違を悪と責めるでもなく
多数派にただ同調するでもなく
敵味方という概念でもなく
自分で自分の意見を尊重して動くこと
主体性=自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する
つまり
「私は〜思う」「私は〜したい」
という自分の意見を信頼し
行動することができていたら?
いじめてくる相手は相手の意見であり
自分の存在、意見とは別物
自分を責める必要はない
自分は自分の選択を信じるだけ
そう思えたかもしれない。
自分の意志で行動すること、自分の意見を伝えることは
自分を大切にすること
自分を信頼すること
そして、相手を尊重することだと思う。
今後、主体性というものが重要視されていくのなら
逆に先生たちの立場からすればどう評価するのかが難しいところだとは思うけれど
私は自分の経験から子どもには先生や友達の評価より、自分自身を大切にしろと言いたい。
私自身がそうだったように
いじめは時に命を捨てたくなるほど辛い
そしてあの時に見ていた世界は学校がすべてに等しかった
でも、今なら学校以外にも生きれる場所があるってわかる。
こどもにはたくさんの世界を見せたい。
そして、一緒にたくさんの世界を見たい。
って、書いてるこれも
要は私の主体性だっていう。
そう、なにを隠そう
子どもの前に親や大人が主体性を発揮していかなきゃねっていうオチ(笑)
母、頑張ります。