できない理由を並べてしまうのは〇〇のせい。

ウェルビーイング

先日、友人がここよかったよと、とあるゲストハウスのパンフレットをくれました。

よく見ると、そこは数年前から母が行きたいといっていた温泉の目の前。

さっそく、母に連絡して

我が家4人と一緒に泊まりにいかないかと誘ってみたのですが

謎にいろいろ言い訳をしてくる(笑)

 

母は行きたいとは言っているのですが、どうにもこうにも行かない方向になってしまう。

これは今回に限ったことではなくて
数年前、この温泉行ってみたいなと言い出した時からずっとです。

いや、もはやこの件に限ったことではなく。

お父さんとおばあちゃん置いてはちょっと。。。
星がきれいな時期に行きたいけど、冬は道が凍るかもしれないから。。。

 

そんなことを言いながら数年が経ち

今回に至っては旦那さんも一緒に行こうとしたため
イビキかいちゃうかもしれないから~と。

 

もう、行きたいのか行きたくないのか(笑)

 

ちなみにこのできない理由をかき集めてくる思考回路
もれなく私も受け継いできました(^^;)

 

だから新しいことをするのは怖いし
失敗したくないし
なんとなく現状維持でいいやとなる

人間、変化が怖いのは生存本能。

 

でもできない理由を並べてしまうのは

遺伝でも何でもない
能力とか関係ない

 

ただの癖

 

たまたま、そこにフォーカスするようになってしまっただけ

できない理由
ダメな理由

ただ、それらに意識がいってしまうだけ

 

なぜそれを言いきれるかって
私自身がそれを自覚し、変えてきたから。

最初は自分ができない理由を並べていることも
できないできないと自分を責めることも
自分自身で気づいていませんでした。

 

でも、あるときから気づけるようになりました。

それは人に言われたことだったり
自分の見聞きした情報から

あ、また自分を責めてる、とか
あ、またできない理由を探してる、とか

とにかく自覚することを意識しはじめ
何度も何度も

 

本当にそうなのか?

 

と自分自身に問いかけた。

このできない理由を探してしまう思考回路は母親の影響も多大にあっただろうし、その他の人間関係やいろいろなことが重なってのことだったのかもしれない。

でもそうなってしまった理由なんてなんでもいい。

自覚すること、自分で気づければこちらのもの。

 

あとは意識して変えていくだけ

 

まずは自覚すること。

個性心理学には「アキラメル」という概念がある。
それは「明らかに認める」こと。

一見ネガティブに捉えがちなことも

「明らかに認める」という工程では良いも悪いもない。

そのまま。ありのまま。

できない理由をかき集めて
自分や何かに×をつけなくていい。

それはただの癖だから。

できない理由を並べていると気づいた時は、この曲をエンドレスで聞いてみるべし。


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さて、我が家は無事温泉に行けるのか?(笑)

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