旅をする意味

小さいころから家を出るまで、年に1度は家族で旅行に行くのが我が家の決まりだった。
公務員の父と専業主婦の母に三姉妹。どこに行きたいか意見を出し合い、計画して出かける家族5人の旅。一般的な家庭だったけれど、今思えばかなり頑張っていろいろなところに連れて行ってもらっていたと思う。
そのおかげもあってか、気が付けば我が三姉妹はみんな海外に出るような旅慣れた姉妹に育った。
そして今、この「旅」という経験が私の財産になっている。

だからみんながみんな旅が好きなわけじゃないとは思うけれど、ちょっとここで旅について語らせていただきたい。

今、自分に見えている世界がすべてではない

旅の醍醐味といえば「非日常」だ。たとえ近場だとしても、見たことのない場所や景色を体験することは自分の日常の見方を変えてくれる。

旅行というと多くの人は美しい景色や圧倒的な自然、造形を見て感動したり、いつもより少しリッチな体験をすることを目的とするかもしれない。
しかし見るものが雑多な風景だったり、よくある街並みだったとしてもその時の自分の状態で見える景色は変わるもの。

思春期の頃は不貞腐れた顔で渋々一緒に行ったりもしたけれど、そのときは何も思わなかったようなことも振り返れば新たな発見だったと気づくことだってある。
それは中学生くらいの頃にラフティングを体験したときのこと。その時のガイドさんはとても気のいい男性で、家族がいろいろと質問しているのを横目に私は何気なく話を聞いていた。するとその男性が夏の間はラフティング、冬になるとスキー場で働いているという話が耳に入ってきた。
その後なぜかその話ととても楽しそうに話す男性の姿だけが残っていて、今思えばあれは好きなことを仕事にしていることや一般的な会社員のようなものとは違う働き方を初めて目の当たりにした瞬間だったのかもしれない。

何気なく暮らしていると自分の行動範囲内が世界のすべてのように思えるときがあるけれど、旅による非日常はそれがすべてではないことを教えてくれる。

旅をすることで養われるもの

旅をすると養われるものとして一番に感じるのは「臨機応変に対応できる力」だと確信している。それは旅にはトラブルがつきものだから。
目的地に着かない、予定していたお店が開いてない、なんてときに怒り出したりくよくよすることもあるかもしれない。
でも、大体は自分で動いてどうにかするしかない。

この臨機応変に対応できる力は、ある意味どこでも生きていける力にも通ずる。思い切りアウトドアができる人なら、それはもはやサバイバル能力といっても過言ではないと思う。

そしてもうひとつは「感性」。これは直観ともいえるもの。
旅好きには大きく分けて2種類の人がいて、ひとつはしっかり計画を練って旅に出る人。もうひとつは行き当たりばったりを楽しむ人。
後者は最初から感性が高いともいえるけど、前者も計画を立てるからこその感性が養われる。
旅の楽しみ方は自由だから、このハイブリット型の場合もある。
なんにせよ、旅はひらめきや物事に対しての感度が上がるものだと思っている。

最後にひとつ、「計画性」も養われると言いたいところだけど、これは一概には言えない。なぜなら計画に固執してしまって計画倒れしたり、順調に進まないことにストレスを感じることもあるから。
必要なのは計画よりも準備。旅には必ず余白を残しておくのが鉄則だと私は思う。

かわいい子には旅をさせよ

たしかこれは子どもに対しての言葉だったような気がする。でも私はこれを自分自身を含めた大人にも言いたい。
子どもに限らず大人だって、自分が傷つかないように、怖い思いをしないように、安全な道を選びがち。
別にスカイダイビングとかアマゾンの奥地とかちょっと危険な旅をしようってことじゃなくて、ただ自分の行動範囲を出てみることに意義があるのだと思う。

リッチな旅も、節約旅も、どちらでもいい。

非日常的な体験を楽しむだけが旅じゃない。
イレギュラーを体験することで自分を知るということが一番重要なんじゃないだろうか。

山なのか海なのか都会なのか
何が好きで、どんな時が嫌なのか

それらは普段の生活でも感じることができるけれど、旅のイレギュラーさの中にいるからこそわかることも多い。

私は人見知りだけど見知らぬ人の温かさに触れると嬉しくなるし、面倒くさがりだけど移動そのものが好きだったりもする。

今はコロナもあってなんでもオンライン化できる時代になってきたけれど、やっぱりリアルで感じられる旅に勝るものはないと思う。

そんなこんなで、ただでさえ暑いのにさらに暑苦しく語ってしまった熱帯夜。

やっぱり私は旅が好き。

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