【勝手に松陰先生】その11「頭と心の関係」

ウェルビーイング

今日の言葉は「頭と心の関係」

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ご存知の通り、すべての人の心には善と悪が同居していて

その心がいいことも、悪いこともさせます。

では、”性善”というのはどんなものかといえば

それは万人に生まれつき備わっているものですが

やむにやまれず「いいことをしたい!」と思ったとき

そうさせる心、それが”性善”に間違いありません。

ですが、間髪入れずに湧き上がる

「名声が欲しいから」とか

「得をしたいから」といった欲望が「善」を邪魔してしまいます。

こういった欲望は、「善」を頭で考えるから、生まれてしまうのです。

この頭から生まれるものを、相手にさえしなければ、正義は実行できます。

頭のために、心をすり減らすほど愚かなことはありません。

頭は心を満たすために使うものです。

「心から満足できる行い」にもっと敏感になりましょう。

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”頭のために、心をすり減らすほど愚かなことはありません。

頭は心を満たすために使うものです。

「心から満足できる行い」にもっと敏感になりましょう。”

という最後の一文が刺さる。

私もずいぶん、頭のために心をすり減らしたなぁ。

~ねばならない、こうあるべきという思い込み

損得勘定

周りの人の目

頭だけで動くことは、一瞬の満足感はあっても

心からの満足はない、と思う。

頭の声と、心の声

これを聞き分けるのには結構時間がかかった。

というかまだ完全には聞き分けれていない。

しかし、最近はこの質問を自分自身に問うことで分別することも多い。

それは

「貰うも払うも全くお金が関係ないとして、それをやりたいかどうか」

「それをやらずに死ねるか」

やらずに生きて、何かの拍子にもう自分がそれをやることができなくなったとき

死ぬ間際になったとき

後悔はしたくない。

こう書くとなんだか大袈裟なことにも見えるけれど

美味しいもの

仲間と分かち合う時間

子どもを抱きしめる瞬間

些細な日常の中にも、「心から満足できる行い」はたくさんある。

あなたの「心から満足できる行い」なんですか?

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