【勝手に松陰先生】その14「なにを選ぶか、どう選ぶか」

ウェルビーイング

この記事は、吉田松陰の超訳名言集「覚悟の磨き方」から抜粋してコラムを書いています。

「なにを選ぶか、どう選ぶか」

自分にとっての利益。
これをなるべく増やそう、残そうとすればするほど
判断基準がぶれ、迷いが生まれます。
反対に、自分の私益さえ一番後回しにできるなら
やろうががやるまいが、どれを選ぼうとも
ものごとは気持ちよく進んでいくものなのです。
自分のことを考えると、かえって自分のためになりません。

 

自分にとっての利益、これが必ずしもお金とは限らないのだけれど
私はめちゃくちゃケチだった。
”だった”といいつつ、恥ずかしながらそれは今も抜けきってない。

生まれは特別貧乏だったわけでもなく、むしろ恵まれていたほうだと思う。
しかし三姉妹で育った私は、「分け合う」より「奪い合う」ことが多かった。
忘れもしない、小学校三年生の時。家を改装して自分の部屋ができるとなって嬉しさいっぱいの中、誰がどこの部屋にするかをじゃんけんで決めた。
私は勝ったのに、結局一番狭い部屋にされたのが納得いかなかったことを思い出す。
まぁ下っ端はそんなもんか。

いつしか奪われないために自分の利益ばかり気にする癖がついたのか
保身や体裁、自分のことばかり気にして生きていた気がする。
あぁ、もう書いてて本当に恥ずかしい。

でも、もう奪われないように生きる必要はない。
今この瞬間、命の危険も食べ物に困る心配もなく、むしろ食べ物やモノは溢れている。

損得やリスクより
やりたいを選ぶ。

お金のために働くのではなく
お金という手段を使って循環させていく

奪い合えば、足りぬ
分け合えば、余る

自分の心の判断基準を、誰かや何かに譲るよりも
志を持って生きたい

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