2021年1月。
今月で、瞑想習慣が始まってから8か月が経とうとしています。
きっかけはこちら

はじめは気にしていた連続更新は途中で途切れましたが、今は1日空いてもまた再開。という感じでゆるく続いています。
最近は仏教にも興味が湧いてきて、お坊さんの本やPodcastを聞き始めちゃったりもして。
もともと私自身は熱心な浄土真宗のおばあちゃんを持ち、お寺の保育園育ちなので仏教自体は案外身近なもの。保育園の頃なんて何も見ずにお経が言えるくらいだった。
でもだからといって幼児の頃なんて意味とか深いことまで全然気にしてなかったし、今でも仏教のことはほとんどわかっていない。
そんな私でも、ここ数か月の瞑想と仏教の話で共通するなと思う点がある。
それは「”今”以外のことは頭の中で起こっている」ということ
ふと思い出す小学生の頃の思い出
今日職場で腹が立ったこと
いつか行ってみたい場所
「今」目の前で見えていること以外は、頭の中にしかない。
だから職場のむかつく人に対しての怒りで誰かに愚痴を言う時には、それはもう「過去」のこと。
失恋した悲しみ、子どもに怒ってしまった後悔
逆に楽しかった思い出、嬉しかったことも
過去の出来事に対して自分が反応している。
未来に対する希望も悲観も、まだ現実には起こっていないわけでそれは頭の中の想像。
頭の中だけで起こっている。
だから瞑想や念仏を唱えるというのは、今この瞬間は頭の中のそれらが錯覚であることに気づくためのものなんじゃないかと思う。
そして頭の中の記憶が今この瞬間は錯覚ならば
悲しみやつらさよりも楽しさや嬉しさを感じていたい。
自分が何を感じているかに気づければ、自分で選択できる。
自分で選ぶ。
これはちょうど新年にピッタリなキーワードかもしれない(笑)
2021年、自分で選んでみよう。